かに星雲ってなに?
かに星雲は、宇宙空間に浮かぶカラフルな雲のようなもので、
ちょっとカニの甲羅のようにも見える。
これは、千年近く前の大昔に星が大爆発してできたものだ!
この爆発は超新星と呼ばれる。古代の人々はそれを見て、
それについて書いたりもした。
超新星が、輝いていた期間は、
中国の記録によると「1年と9ヵ月」。
昼でも見えていたという話しもあります。
中国の記録『宋史』「天文志」に客星(突然現れた明るい星)記される
出現:至和(しわ)元年五月己丑(つちのとうし)(1054年7月4日)
歷代天文律曆等志彙編 (中華書局): 1976
消失:嘉祐(かゆう)元年三月辛未(かのとひつじ)(1056年4月5日)
国立国会図書館サーチ:https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I029760733-00
『明月記』(めいげつき)は、鎌倉時代の公家である藤原定家(ていか)の日記。
それまで観測されなかった場所で突如として見えるようになり、
一定期間後に再び見えなくなった恒星『客星』として書に記す。
資料:国立国会図書館デジタル資料 明月記. 第3
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991255/129
(明治44年9月 國書刊行會)1911-1912
かに星雲は地球から遥か彼方、
まるで超遠方、約6500光年の彼方にある。
つまり、光の速さで移動できたとしても、
到達するのに6,500年かかるということだ!
幅も約10光年とかなり大きい。
ちなにみ、太陽から海王星までの距離は、
約0.00047光年なので、
太陽系の2万1276倍の大きさがある。
このカラフルな雲の中には、
パルサーと呼ばれる特別なものがある。
これは超高速で回転する星のかけらのようなもので、
星雲を色とりどりの光、特にガンマ線のような
高エネルギーの光で輝かせる。
科学者たちはこの星雲を研究するのが大好きだ。
なぜなら、この星雲は、宇宙での物事の仕組み、
特に星からの本当に強い光や爆発について
詳しく知るのに役立つからだ。
かに星雲の方角は?
かに星雲は、おうし座の方向にあります。
ただし、肉眼では見えません。
ステラナビゲータ12(R)では、
「光度 8.4等 視直径 7.00′ x 5.00’」
見つけるには、おうし座が見える
夜空の特定の方向を見る必要がある。
かに星雲を見つけるには、
おうし座の角にあたる先端付近を見るとよい。
北半球では、冬から春先にかけて最もよく見える。
おうし座を見つけるには、まず、牛の顔を表す
V字を描く星の集まりを探してみよう。
かに星雲は、おうし座を見つけることができれば、
かに星雲を見るための
正しい方向を見ていることになります。
さまざまな光の波長での観測
これまでに、さまざまな天文台で
あらゆる波長の光で、徹底解明が試みられてきました。
- 電波(Radio)
- 赤外線(Infrarouge)
- 可視光(Lumière visible)
- 紫外線(Ultraviolet)
- X線(Rayons X)
- レーヨンガンマ線(Rayon gamma)
今回、ジェイムズウェッブ宇宙望遠鏡が撮影した
「かに星雲」は高感度な解像度で
わたしたちを大いに驚かせてくれています!
なかでも白い乳白色の靄のような?煙のような?ものは、
中心にあるパルサー中性子星が、超高速回転して
発生させた『シンクロトロン放射』の影響であり、
一つの望遠鏡で、ここまでパルサーの流れをとらえ
観測したのかと思うと、とても驚きです!
藤原定家が写本の源氏物語「若紫」見つかる
鎌倉時代初期に活躍した歌人、藤原定家(1162~1241年)が書き写した
日本経済新聞:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50743070Y9A001C1CR8000/
「源氏物語」のうち、1つの巻が東京都内で見つかった。
かに星雲を『明月記』に記した藤原定家(ていか)は、
1162年~1241年まで生きた、平安時代と鎌倉時代の
時代の変わり目に生きた公家である。
一方、源氏物語を書いた作者は『紫式部』。
紫式部は、定家よりひと世代前に生きた歌人になります。
紫式部:973-1031年
藤原定家:1162~1241年
明月記:定家、18歳から74歳までの56年にわたる克明な日記(2000年に国宝に指定)
お互い認識はないが、写本によって
源氏物語を現代まで語り伝えてきたのである。
2024年の大河ドラマも一風変わった題材で、
どんな内容になるのか、楽しみですね♪
大河ドラマ「光る君へ」 – NHK
https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1YM111N6KW/